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〈座談会〉なぜ「子どもの教会」なのか


2026.02.07

真壁 前号でお知らせしたとおり、『季刊 教師の友』は今号をもって休刊となります。これまでの歩みを振り返り、今後の教会教育について考えようと思い、「子どもの教会」をテーマにした座談会を企画しました。

𠮷新 休刊が急に決まり、とても驚いています。子どもが少ない、集まらないという状況のもと、各地のC‌Sも、私たちも、できるかぎりのことをしてきたと思います。採算が取れないという事情は理解できます。ただ、採算が取れないという理由だけで、子どもを育てる上で大切なはたらきをしている雑誌がいきなり休刊になったことに怒りに近い感情を感じますし、まだ受けとめられずにいます。


望月 『教師の友』が月刊誌から季刊誌となったのは二〇〇二年のことでした。東日本大震災やコロナ禍よりもずっと前のことです。教会も私たちもいろいろと試されてきたと感じます。


酒井 C‌Sだけでなく、日本社会におけるキリスト教会のイメージを大きく変えてしまったのは、一九九五年に起きた地下鉄サリン事件だと思います。この事件によって「宗教」というもののイメージが悪化し、子どもが教会へ行くのを保護者が止めるようになってしまいました。


 私は日本キリスト教団教育委員会から派遣され、今年度から編集委員に加わりました。加わったとたんにいきなり休刊となり、とても驚いています。韓国のC‌Sも、日本のC‌Sと大きく事情は変わりません。人と人との距離が以前に比べて遠くなった結果、友だちを誘うのは韓国でもとても難しいです。また、韓国のプロテスタント教会の一部が、社会的に大きな問題を起こしてしまうことがあります。ごく一部なのですが、その教会のために社会全体がプロテスタント教会を冷たい目で見ているのが現実です。戦後、韓国の教会は日本の教会以上に急速に拡大しました。それに伴うゆがみが、このような事態をもたらしたと言えます。


大澤 『教師の友』が創刊されたのはアジア太平洋戦争中の一九四二年でした。戦争協力から始まり、敗戦、戦後のキリスト教ブームに高度経済成長といった時代の中を生きてきたのです。そして、していることが正しいかどうかは別として、私たちは何をすればよいのか、ずっと問いながら歩んできたと言えます。特に季刊になってからは、教会と子どもとの接点が失われ続けていることにどう対応すればよいか、苦闘し続けたのではないでしょうか。うまくできたとは思いません。その結果が休刊なのでしょう。残念です。しかし、できる限りの努力はしたと思います。
子どもはどう変わったか


安部 季刊になってからの時期は子どもを取りまく環境が激変した時期でもありますね。高度経済成長期、日曜の朝、おとなは疲れて寝ていたわけです。だから、他にすることのない子どもどうしが誘いあって教会に来ました。今は違います。日曜日は保護者が子どもを連れてどこかに行く日です。そうでなければ習いごとがあります。教会がなかなか選択肢になりません。


𠮷新 私が子どものころは、友だちになった子はみんな教会に誘っていましたし、そうすることが勧められていました。


望月 子どもが抱える問題がより複雑になったと感じています。子ども自体が変わったというよりも、子どもを取りまく社会の問題が複雑になった結果なのかもしれません。


酒井 私もそう思います。子どもを取りまく状況や、使っているモノは大きく変わりました。でも、数十年にわたり子どもと向きあってきて、本質的なところは同じだと感じます。


大切にしてきたこと


望月 『教師の友』の特集や連載は、迷っている途中のもの、答えが出せないことを取り上げてきました。子どもに答えを示すのではなく、一緒に迷うことを目指していたのかなと思います。表紙にいつもあるように、「子どもと共に育つ」ですね。

大澤「子どもと共に育つ」は今後もぜひ残してほしいです。


安部 季刊化の時に編集目標というのを六つ決めました。
①聖書が生き生きと読めてくる。
②子どもの声が聞こえてくる。
③子どももおとなも一緒に育つ。
④今日的課題を担う。
⑤いのちあふれる礼拝を目指す。
⑥これを持てば子どもの前に立てる。
これは今までずっとやってきましたね! それが正しかったかどうかは別として。


大澤 『教師の友』が日本キリスト教団の教案誌として刊行されていた意味は大きいですね。教団全体、さらには超教派的なことも考えて、多様性・公平性・包括性を大切にしてきました。


真壁 日本キリスト教団の教会でも、別の教案をお使いのところもたくさんあります。ただ、できるだけ多様な執筆者に依頼するよう考えてきました。今後もぜひそうであってほしいです。


大澤 編集目標の⑤にあるように、季刊化にあたっては、礼拝共同体である教会として子どもと関わることを大切にしました。


安部 礼拝案やリタニーは、季刊誌になって始めたものです。


 そして④にあるように、聖書や教理も大切だけれど、子どもの問題や社会に関することも継続して取り上げました。


なぜ「子どもの教会」なのか


安倍 話は少し前後しますけれど、今日の座談会のテーマでもある「子どもの教会」がどのように成立したのか、改めて確認したいと思います。教会教育プログラムの総主題が「恵みを共に生きる」から「『いのち』を共に生きる」に変わったのが二〇〇二年度のことで、この前の二〇年くらいの動きが「子どもの教会」につながりました。


酒井 その動きの一つに、イリイチが提唱した脱学校化がありますね。日本で広まったのは一九九〇年代くらいからだと思います。


安倍 はい。それに加えて神学では解放の神学や民衆の神学、キリスト教教育ではウェスターホフによる「共同体の教育」といった動きもありました。変化する社会に問われているのは、子どもではなくておとなです。残念ながら、日本のキリスト教会は―全体としては今でも―問いかけを十分に受けとめられずにいると思います。教会は子どもに何かを一方的に押しつける場ではなく、「子どもと共に育つ」場です。だから「子どもの教会」という呼び方がふさわしいのです。
これから期待すること


大澤 新しくできるホームページには、「子ども」や「教育」に関する情報を発信する上で中心的な役割を期待します。教会教育には信徒運動の性格が強くあります。信徒運動としての教会教育を活性化するものになってほしいですね。


望月 一方で、教会はとてもアナログ中心な場であると感じます。希望する教会には、教案のプリントアウトを今後も届けるそうですね。私はホームページにも関わりますので、どうやって用いていただけるか、考えたいです。


安部 ホームページ化に対応できない教会もあるでしょうね。ウェブの特性である双方向性を生かして、全国のC‌Sとのつながりを広げてほしいです。ホームページなら画像はカラーで出せますし、動画も使えます。礼拝案など、文章だけだと分かりにくいことを動画で見てもらえるようにしたいですね。


𠮷新 私は先日、久しぶりに子どもの教会で聖書のおはなしをしました。子どもたちが今月の暗唱聖句「絶えず祈りなさい」を口にするのに心動かされました。私も子どものときに「神は愛なり」ということばが心に刻みこまれたのです。子どものときに、あなたは無条件に愛されている、大切にされていると伝えることが必要です。これは外せないですね。これが子どもの教会の中心です。これはどのようなかたちでも続けてほしいと、心から願います。


望月 「神は愛なり」に条件はありませんよね。C‌Sスタッフに限らず、教会員みんながこのことをさまざまなかたちで伝えてほしいです。


𠮷新 子どもの日・花の日に、子どもがおとなに聖句を書いたしおりをプレゼントしてくれたんです。子どもたちは書いた聖句を覚えているのですね。子どもたちの心に聖句がしみついている。これこそが生きた教会教育だと思います。


真壁 𠮷新さんがおっしゃったことは、まさに『教師の友』が大切にしてきたことですね。西千葉教会には、何が何でも毎週C‌Sに来る子どもがいます。その子に教会全体が支えられている気がしますね。


安部 地域から孤立していたら、子どもは教会には来ません。教会が社会資源になる必要を感じます。子ども食堂やフードパントリー、給水所になるなどはその一例でしょう。そのきっかけを子どもから始めてみませんかという提案をこれまでもしてきましたし、その姿勢を維持してほしいです。ホームページでもぜひ積極的な提案をしてほしいですね。


望月 一教会一牧師という体制をもはや維持できない現状で、ホームページが新しい教会の姿を示すヒントになればと思います。前任地(足利教会)にいた時、群馬県で地域の教会が子どものためにバーベキューをやるから来てねと言われて行ってみたら、おとなと子どもで六〇人も集まったんです。子どものための集まりとしたら人が集まらなかったらしいのですが、おとなも子どももどうぞとしたら来るようになったそうです。


安部 私が牧師をしている久我山教会では、C‌Sキャンプをファミリーキャンプと名前を変えました。教会という家族のキャンプだよ、というつもりだったのですけれど、家族で来てよいという意味に理解されたみたいですね。もちろんそれでよいわけで、家族で呼ぶようになって参加者が増えました。


大澤 松本教会では子ども食堂にたくさん人が来ます。ここで多くの人が共同体を経験していると感じますね。教会の食堂に教会員に限らず、さまざまな背景を持つ人が来る。そして、子どもが子どもを誘ってくるのです。

望月 改めて、コロナ禍の時に人との接触を禁じられ、失ったものは大きいと感じます。

大澤 人と出会うという人権が侵害されていて、私たちはそれに慣らされちゃっているんですよね。人との出会いを回復する必要があると感じます。どうすればいいかという答えを持っているわけではないので、まずは話し合いから始めるのが大切でしょう。それを共有する場としてホームページが機能してくれるといいですね。

望月 三〇〜四〇代の保護者はさまざまな苦労を重ねています。C‌Sが保護者の居場所にもなるためのヒントを、ホームページを通じて発信したいです。

 『教師の友』が想定する子どもは、小学生くらいまでが中心ですよね。ティーンズならではの難しさによりそうメッセージもあるといいなと思います。休刊といきなり聞いて戸惑いもしましたが、導きとも考えられるでしょう。時代に合わせて形式を変える時期だということは確かです。

望月 私たちは教師としてではなく、ただの「おとな」としてティーンズに接することができます。その助けにホームページがなるといいですね。

真壁 「子どもと共に育つ」ということばは、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ……」(マルコ10・16)というイエスの言葉と深く響きあっています。イエスに従って歩むという原点を忘れなければ、ホームページも用いられることでしょう。今日はみなさん、どうもありがとうございました。